「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください」を読んで。

姉の部屋で見つけた、衝撃の本

タイトルが、大変激しい。
激しいけれど、忘れられない。激しいからこそ忘れられない。

この書籍を手に取ったのは、姉の部屋。
ぽつんと、けれども強く主張するかのように置かれていました。

こちらの本はわたしがお手伝いさせていただいた、【お客さまから学んだ「美しい生き方」 】という本の編集長が携わっていると聞き、認知はしていました。

まさかのこの激しいギャップのタイトル本をつくられるとは…と、その時の衝撃を覚えています。
いつもなら知人の出版やお世話になった方の本はほぼ購入するのに、今回姉の部屋に置かれた本を手に取るまで購入しなかったということは、わたしがわたし自身を「馬鹿ブス貧乏」ではないと思っていたからでしょう…傲慢な心が行動ににじみ出ていました。

姉はこの本を知人からプレゼントされたそうです。
「どういうつもりでこの本をくれたんだろう…笑」と呟いていて、確かになかなか勇気のあるプレゼントだと思いました。

ただならぬ縁を感じてページを開くと、30半ばの姉妹はティータイムから大爆笑しながら本を読み進め気がつくと夜の8時を過ぎ、半分を読破していました。そして持ち帰らせてもらったのです。
姉から引き継いだこの「馬鹿ブス貧乏」本をどうしても全部一気に読みたかったから。

ここからは書籍の感想を書きたいのですが、大きく脱線する予感があります。
なぜなら、「馬鹿ブス貧乏」本は女性の一生について書かれた説明書のような本。自分自身の青春期を思い出さずにはいられず、これからの中年期、老齢期というまだ見ぬ未来のことをああだこうだ考えてしまうからです。

それでも、どうしても自分の中に腹落ちさせたいのと、2冊目の「馬鹿ブス貧乏な私たちを待つ ろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。 」の発売記念として…この特別な2020年の記録として書かせていただきます。

「馬鹿ブス貧乏」とは誰のことなのか?

まず、これは誰に向けた本かというと「馬鹿ブス貧乏」な女性のためではなく、「頭が良く高学歴で美人でお金持ち」が揃っていないすべての人への本なのです。

つまりわたしであり、失礼ながら自分を「普通」もしくは「普通だと思っている」の女性へ向けた本です。男性に関しては説明が面倒なので除外しておきますが、女性はこういう風に生きているではなく、本書に書かれている状況に置かれることもあるという事実を感じるには参考になるのでは…と。

最初にひっかかる難問、「馬鹿ブス貧乏」と「普通」の境目。これは非常にややこしい。
この難問は、婚活で囁かれる「普通の男がいないのよ」現象に酷似しています。
婚活市場の「普通」とは年収500万で学歴問わず、身長165センチ以上。というのが最近の設定だそう。

でも、本当は違うでしょう。

ちゃんと会話が続かなかったり、なんか微妙にダサかったり、体臭が気になったり、食事の仕方が汚かったり、セックスがいまいちとか。そういうの全部目を瞑って前述の年収、学歴、身長だけで「普通と言わないのに非常に似ている。と。

藤森先生のブスの定義は「顔や体で食っていけないならブス」であるため、わたしはブスです。
明らかに高学歴ではないので「馬鹿」です。
わたしに今何かがあり動けなくなっても一生不自由しないお金もないので「貧乏」です。

はい、「馬鹿ブス貧乏」揃っていましたね。
自己肯定感を無駄に下げる必要はないのですが、とにかくこれから先も長い人生を生きていかなきゃいけないので、藤森先生の本をナビゲーションとして現実をみたいと思います。

妬むな、努力しろ

藤森かよこ先生は「現実と幻想をごっちゃにしないこと」の重要性を長い前置きで熱弁されています。
これさえ認知できれば、なんとかなるんじゃないかという位に感じます。まずここで痺れて、藤森先生かっこいいなと思いぐぐりました。藤森かよことはどんな人物なんだ?と。

最初に、「大学の教授か、すげー人じゃないか。」ぼそっと呟いてしまいました。
わたしと同じ感想の方が多数いるのは、Amazonのレビュー星一つの理由を読めば分かります。
「その年代に生まれた女性で院卒で大学の教員って。期待しただけにがっかりしています。」

確かに、著者に馬鹿でブスで貧乏を期待してしまうのも分かりますが…本当に馬鹿だと、本、書けませんからね。
実際に馬鹿な人がいたら、そんな人の話も聞かないでしょう。

人生の先輩が赤裸々に時間をかけて「馬鹿ブス貧乏」のために書いているんだから、さっさと読んで人生を改善して行こうよ!と思うわたしがが楽天的すぎるのか、疑う心が足りていないのか、もはや分からなくなってきますが話を進めます。

生き残れるかは、当たり前のことをできるかどうかにかかっている

女性のライフステージ別に書かれた本書。特に面白いのが、以下の7項目。

容姿は女の人生を決める。
運のいい人間でいるため。
学び続けること。
女は誰でもふたり分の人生を生きる。
「自分のお金」について考えていれば現実から遊離しない。
自頭だけに頼っている人はいない。
高齢者のモデルがいない。

独断と偏見でピックアップしたましたが、至極まっとうで当たり前のこと。
けれども、なかなかできないことが並んでいる。。
誰にでもきるけれどなかなかできないことの一つは「現実と幻想をごっちゃにしない」こと。
もう一つは「一生涯努力して、勉強していくこと」だと思います。

取り柄もない人は努力と時間、量が必要

わたしの人生についてと周辺環境のお話を少し。
わたしは今年独立して5年経ちました。占い師の如く「どうやったらうまくビジネスができるのか」「独立してもいいと思う?向いている」という相談を受けてきました。おそらく、100人以上。

もちろん「全然大丈夫でしょ」と言って、簡単な見積もりや契約、国保などの注意点だけ伝える人もいれば「悩むくらいなら向いてないよ?」という人もいます。

自分の強みも客観的に見られず、努力しようともしない人は基本的には無理だと思います。
わたしの周りの人は経営者も会社員もかかわらず好きなことを仕事にして金をもらう=他者に役立っている人達は見えないところで努力しています。
藤森先生の書籍にもありますが、全力で会社などの大樹にぶら下がるのが、きっと幸せです。

「馬鹿ブス貧乏」なわたしが大好きな植物に囲まれて仕事をしていられるのは、過去の知識と経験貯金のおかげです。365日休みがなく24時間とまではいかないけれど、起きている時間全部仕事か勉強!という会社員時代の貯金を使っているのです。

母曰く、5歳の時に「リリカンパニーを立ち上げました!」独立宣言をしていたそう。
10歳の頃には建築家として独立することを決意し、20歳の頃に30歳までの独立準備をスタートしたので30年間の準備期間を経ています。

「馬鹿ブス貧乏」だとは思っていなかったけれど、頭も良くない、見た目も普通、お金も人脈もないんだから「努力」しかない。そう考えて、あぁそうだったな。間違ってなかったかも知れない。と思えたのが25年後の今、藤森先生の本を読んだ瞬間です。

好きなことを仕事に、効率的に稼ごう!って思っている人は下準備を忘れています。藤森先生の本をまず読んでください。

もし才能があったら、既に成功しているか、誰かが放って置かないはず、現実を見ましょう。
そんなこんなで人生の振り返りとおさらいができる「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください」。

一番いいなと思ったのは最後に、紹介文献リストが乗っているところです。
馬鹿ほど、本が読めない。本のことを知らない。だからくだらないネットニュースや情報商材に惑わされてしまう。なので、全力で本を読みましょう。

第二弾がやってきた、ろくでもない近未来について

そうして読み終えた「馬鹿ブス貧乏」の第二弾が2020年の冬に登場。
今回も長い前書きが痺れる!
「本書はコロナ危機に対する著者の不安と恐怖解消活動の副産物」と書かれている。ここの一文、「怖いなら、逃げずにリサーチだ」。痛恨の一撃、再び!という感じです。

コロナによって遠い未来が近未来になった、という部分もぼんやり感じていたことを鮮やか書いてくれています。

コロナによって炙り出された社会問題。わたしの周りにも現れました。

第一弾本で老後が気になり出したのは父の墓を買って終活準備を始めたり。新型コロナウイルスでさらに顕著に。ステイホームが伸びたタイミングで、東京の住まいの大家さんが認知症で○○くなったり。それを相談すると不動産会社の社長が骨粗しょう症による怪我で超長期入院で全く連絡がつかなくなったりと「これ、日本中で起こってるんじゃない?」と恐怖を感じる日々。

○○さんところの××さんが認知症でね…ということは、これまで人ごとだったかもしれない。
でも、同じ敷地に住む大家さんが認知症で家事にでもなったら、木造一軒家の我が家は本当によく燃えるだろう。自分の、大切なものが、全部、燃える。戦慄です。

これくらいで近い距離に問題がやってないと、危機感の前に、関心すら生まれない。
誰もが、他者に介入する余裕がないのだから。

大盤振る舞いの日本政府は誰を救うのか

昭和の最後に生まれた世代であれば、生まれてからずっと不景気だったという意識があるのでは?
リーマンショックの時、運よく上場企業にいたわたしはこんなもんかなとボーナスを眺めていた。
ここ数ヶ月でその意識はガラリと変わった。不景気というのはこんなもんじゃない。
というよりも、こんなもんじゃなかったのだ。行きつけの街の路面店がゴロゴロ開きテナントになる様子を見て秋頃から血の気がひいてきた。
多くの人が政府の様々な施策にダメ出ししかしない。
が、フィリピン、ドイツ、台湾、ハワイ、カナダ在住の人と話をするが、日本が悪すぎることもなく、良いわけでもないと言った感覚だ。はっきり言って、もうどうしょうもない。パンデミックだから。

経済の波に漕ぎ出した今だから感じたのか、この時代がおかしいのかなんて正直分からないけれど。
明らかにコロナの影響には格差が出ていることは感じます。
これは戦時、戦後の闇市で一儲けした人もいたりするので変わらないことなの?
事実、コロナバブルだと行っている人が何人もいる。(そんな下品な言い方しませんが)
トロッコ問題なので、全部が救えるわけじゃないと分かっていても…

わたしにできることは、なんでしょうか。

歴史に学ぶ、は意味があるのか

ちょうど、マーガレットサッチャーをメリル・ストリープが演じていた映画をAmazonで観ていました。
「馬鹿ブス貧乏」の第一弾にもその話が出てきて、お、なるほどと。こんな旨味が無くなった社会だから、男性がちょっと雲隠れして女性リーダーが増えるんじゃないか?というのです。

令和の今ならば、優秀な女性はどこかの誰かの組織のリーダーになることの旨味が本当にないと考え、起業しインディペンデントで活躍するんじゃないかと思っています。

アフターコロナの雇用や仕事に関しての感想は、割と当たり前のことが反映されるのではと感じました。
個の自立であると指摘している本があるそうですが、反対に自立してなくてやっていけたなんてこれまでがラッキーな時代だった気すらしてきます。

ふと思い出したのが松任谷由美さんが初めて情報番組に出たという時の言葉です。
あれは令和に年号が切り替わりどんな時代になるのかと問われてい他のですが、「精神の成熟の時代」と言っていました。その意味を真に理解できている自信はないのですが、あの瞬間は成果はボジティブな変化に期待を寄せていた。一転、一年でこんなことになろうとは。

「馬鹿ブス貧乏」の第二弾は、正直なところ前作よりも体系だって近未来への対策を説明書として機能するものではない気がします。著者の藤森先生の「そわそわ」を至る所に感じるからです。
それ以外のことに意味を持たせた本として世に出されたのではないでしょうか。

けれども同じ瞬間に、同じように感じたこと。別の視点からこんなことを感じていたのか、という発見をもたらしてくれます。
憧れの芸能人が、家族もいて幸せそうな人たちがバタバタと自殺していく秋。年末の今はGo Toがなくなった、と大騒ぎしている。信じられないくらい命の重みが軽くなったような、重くなったような訳のわからない一年が終わりを迎えます。その瞬間を誰かとやはりシェアしたいのかも知れません。

どんなにメンタルタフな人でも、正直今年は辛そうでした。家に篭り、人に合わない。得体の知れない不安がもたらす影響の大きさに改めて驚きました。
それと同時に、わたしはものすごくしぶとく生きてしまいそうだと覚悟したのです。
本当は40歳までにアーリーリタイヤをしたいと思っていましたが、無理をするのは歪みが出るので50歳に変更。そうするとゆとりを持って田舎暮らしに入るため、楽しく自給自足生活もほぼできる気がしてきました。
80歳までにまだまだやりたいことを詰め込めそうです。

多くの人は早く死ねない、だからこそ健康に生きることは重要。継続可能な社会も必要。それでは、今やっているわたしの仕事はあと40年くらい開けて実現される社会の手助けになる。
うん、大丈夫じゃないか。

そんなこんな今年を振り返る文章に勝手に切り替わり、気がつけばもう朝の4時になりました。
文章は5000文字を超えてしまった。藤森先生へのファンレターは明日にしよう。
もし仮にわたしに明日がこなくたっていいや。そのくらいの気持ちと、あと40年は現役だ!という両輪を持ってまずはこのアフターコロナを迎え打とうと思います。

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